寺院名 廣澤山 正覚院 西方寺
宗派名 天台宗
住職 小笠原一教
副住職 小笠原一行
名誉住職 小笠原統海
TEL 024-958-2260
住所 〒963-0534
郡山市日和田町日和田138
地区第四教区
西方寺
西方寺

西方寺について

西方寺

西方寺は858年「慈覚大師円仁」が東国教化の折り日和田の里を訪れ、廣い澤なる奥の渓谷に草庵を結び(旧御庵)、自ら阿弥陀如来を刻まれて御本尊として奉安された、慈覚大師開基の古刹です。

正暦元年990「恵心僧都源信」此の草庵を訪ね、大師の業に習って自ら刻まれたとされる薬師如来三尊仏も奉安しております。

天慶年間940年頃、村里近くの古城(安積左右衛門古城)の下の廣澤なる地(現日和田町宮下道場)に寺院形式として初めて「堂宇」が移築されました。

永正5年1508「栄光法師」を正式に第一世住職とし「天台宗廣澤山正覚院西方寺」として再建されました。当時の藩主「伊東氏」の守護も篤く寄進田等も年々増加し、部矢田(日和田の旧称)の里も塊村の形態を成し付近村邑の中核を成し、早稲原村・前田沢村・富田村・大島村・八山田村の村民迄大師と僧都の相承に預かりました。

慶長2年1597 日和田村の町割りが施工完了し、慶長3年1598廣澤なる地の東側の狸森(現在地)に遷寺改築建立されて「日和田村総村寺」となりました。

天正年間・慶長4年・宝暦2年と三度に亘る日和田村大火にて西方寺本堂を焼失し、宝暦3年三度目の「西方寺本堂落慶法要」挙行されました。「薬師堂」も新築され 「薬師三尊仏」も奉安さました。

平成六年度の「新本堂建立」迄、風雨に耐え里人の平安と、御祖先の菩提を願い、百万遍の融通念佛供養塔が現存するように、浄土信仰が盛んであり、念仏講中として存続しています。

明治9年「東勝寺」が廃寺となり、「東勝寺本尊大日如来」が西方寺に移され、「蛇骨地蔵堂」は西方寺別当境内と成りました。

平成4年3月10日「西方寺新本堂地鎮祭」が挙行され、平成8年3月30日には280年ぶりに西方寺本堂新築完成し、「諸堂落慶法要」が、盛大に挙行され、現在に至っています。

所在地