新盆に想う

「今でもあの人が亡くなったと思えない、そんな気持ちになる時があるの。目が覚めたら、隣で寝ているかもしれない、携帯に電話すれば出てくれるかもしれないって」

二十歳を過ぎた頃に出会った。ともに福井の出身で、お金も縁故もなかったけれど、それ故に懸命に働いた。

 夫は、お酒も煙草もしなかった。趣味は、小説を書くこと。明るく、いつも笑顔だった。だから、楽しかった。子供を授かったのを機に籍をいれ、あっという間の37年。

還暦を迎えたら、新婚旅行をしようと約束していた。「最後はね、ありがとうって、手を握ってくれたの。でもね、法慧さん。夫は娘のところには、もう3度も夢に現れたっていうのよ。けど、私のところには、一度も来ないの。不実よねぇ。でも、今日からお盆だから・・・」

 あの世があるか、死んだら霊になるか。祖霊信仰。習俗。・・・止まれ、そんな野暮を言うのはよそうじゃないか。 そうせずにはいられなかった人間の悲しさに手を合わせよう。そうせずにはいられなかった人間の祈りに希望をもとう。 供養の養とは、記憶を養うことだ。つまり、故人を忘れない事。悲しみを生きる力に転ずることこそが、何よりの供養なのだから。 

徳成寺 住職 法慧