あたりまえ

毎日繰り返される日々の生活や出来事を「あたりまえ」と感じてしまう事はないでしょうか?
 人は心に余裕がなくなると物事を「~だからあたりまえ」とつい考えてしまいがちですが、この命は父母や祖父母・沢山のご先祖様の命のリレ-によってこの世に生まれ、家族の支えにより成長し親戚・友人・同僚など多くの人とのかかわりの中で生かされています。日々の生活も家族の為に働き家計を支えてくれる人、清潔に衣服を洗濯してくれる人、家をきれいに掃除してくれる人、ご飯を作ってくれる人、買い物してくれる人などそれぞれが誰かのおかげで毎日の生活が成り立っています。最近の環境問題を考えれば生きるために必要な太陽の光、恵みの雨、きれいな空気も「あたりまえ」ではないでしょう。
 そう考えてみるとすべての物事は「あたりまえ」ではなく誰かのおかげ何かのおかげの積み重ねによって成り立っている「有り難い」事だと感じる事が出来ます。
 繰り返される毎日の自分の生活が決して「あたりまえ」ではなく「有り難い」事であり、より多くの物事に感謝の気持ちを持ち「ありがとう」と言葉や態度に表す事により、自分の大切な人と皆様が心穏やかに生きていけますよう心よりご祈念いたします。               
合掌 大有寺 鹿山貴裕